東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)82号 判決 1982年1月26日
原告 株式会社大阪パッキング製造所
右代表者代表取締役 柿木克己
右訴訟代理人弁護士 林藤之輔
同 中山晴久
同 夏住要一郎
同 吉井参也
同弁理士 三枝英二
被告 特許庁長官 島田春樹
右指定代理人 窪田晃
<ほか三名>
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
原告は、「特許庁が昭和五〇年審判第八三二五号事件について昭和五五年二月一九日にした審決を取消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、被告は、主文同旨の判決を求めた。
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
原告は、名称を「成形体」とする発明につき、昭和四三年六月四日特許出願をした(以下、この発明を「本願発明」という。)ところ、昭和五〇年七月二三日拒絶査定を受けたので、同年九月二六日これに対する審判を請求し、特許庁昭和五〇年審判第八三二五号事件として審理され、昭和五四年一月二九日出願公告(特許出願公告昭五四―一七二七号)されたが、昭和五五年二月一九日右審判の請求は成り立たない旨の審決があり、その審決の謄本は同年三月一七日原告に送達された。
二 本願発明の要旨
1 ゾーノトライト針状結晶が三次元的に絡合した一〇μmないし一五〇μmの多数のほぼ球状の集塊物が圧縮変形された状態で相互に連結して実質的に構成されていることを特徴とする珪酸カルシウム系成形体。
2 右第1項記載の成形体中に三重量%ないし五〇重量%の粘土が分散されていることを特徴とする耐熱強度大なる珪酸カルシウム系成形体。
三 本件審決の理由の要点
本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
これに対し、本願発明の出願日前に特許出願された特許第九六二四六四号の発明(特願昭四二―八三五三九号、特許出願公告昭五三―一二五二六号。以下、「先願発明」という。)の要旨は、次のとおりである。
「1 ゾーノトライト針状結晶の水性スラリーであって、該針状結晶は水中において不規則に三次元的に絡合して多数の集塊物を形成した状態で分散されており、前記集塊物は一二〇倍の暗視野像で見た時ほぼ球状にみえその直径が約一〇μないし一五〇μの範囲にあり、且つ一三〇〇〇倍の電子顕微鏡でみた時前記球状集塊物周囲にゾーノトライト針状結晶に基づく多数のひげが見えることを特徴とする珪酸カルシウム成形体製造用組成物。
2 右第1項記載のゾーノトライト結晶スラリーに粘土を添加したことを特徴とする珪酸カルシウム成形体製造用組成物。」
そこで、本願発明と先願発明とを対比すると、先願発明は特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との水性スラリーからなる組成物であって、成形体製造用と明記しているとおり、水をとり除いて成形してもっぱら成形体を製造することのみを意図しているものであることは明白である。ところが、本願発明は先願発明の水性スラリーからなる組成物から単に水をとり除いて成形しただけの特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との成形体というにすぎず、成形体といっても、その形状や構造あるいはその用途を特定しているわけではないから、まさに先願発明が製造を意図している成形体そのものの発明と認められる。
そうであれば、本願発明は先願発明の技術思想を別異の観点から表現しただけのものにすぎず、先願発明と同一の発明であると認められる。したがって、本願発明はいずれも特許法第三九条第一項の規定により特許を受けることができない。
四 本件審決の取消事由
先願発明の要旨が審決認定のとおりであることは認めるが、本件審決は、以下に述べるとおり、先願発明及び本願発明に対する正しい認識を欠き、その結果、両者の関係を誤って判断したものであって、違法として取消されるべきものである。
1 (先願発明について)
先願発明の組成物が水性スラリーであり、先願発明の明細書の特許請求の範囲に成形体製造用と明記されているとおり、先願発明は右組成物を成形体の製造に用いることを意図したものであることは、争わない。しかし、先願発明の組成物が水性スラリーであることと成形体製造用と明記されていることを理由に、審決が先願発明を「水をとり除いて成形する」ものであるとするのは、誤りである。
先願発明の特許請求の範囲には、特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との水性スラリーからなる成形体製造用組成物が記されているだけであって、水をとり除くことはもちろんこの組成物から成形体を製造する方法については何らの記載もない。したがって、特許請求の範囲の記載から把握される先願発明の技術思想は、特許請求の範囲に記載された構成を有する成形体製造用組成物にとどまるのである。
もっとも先願発明の明細書には、先願発明の組成物から水を除いて成形体を得ることが記載されている。しかし、先願発明出願当時の技術水準においては、一般に無機化学の分野で水性スラリーからなる成形体製造用組成物より水をとり除いただけで実用性ある強度を有する成形体が得られるようにすることは、当業者の常識に反することであった。
例えば、無機成形材料として最も一般的なコンクリートを例にとっても、これから成形体を得ようとすれば、水性スラリーであるいわゆる生コンクリートを型に流し込み静置熟成して結晶化させて成形体を得ているのである。珪酸カルシウム成形体の製造技術分野においても、従来技術では、珪酸原料及び石灰原料を含む原料スラリーを脱水成形するか鋳型に注入して成形し、次いでオートクレーブ中で水熱反応により結晶化と硬化とを同時的に行なわせて成形体を製造しているのである。すなわち、コンクリートにしろ、珪酸カルシウム成形体にしろ、一般に強度のある無機成形体を得ようとすれば、予め成形した状態で水の存在下静置状態で結晶化と硬化とを同時に行なわせねばならないとされていたのであり、結晶化のみを先に行なわせた場合は、いかなる手段によっても硬化した結晶成形体は得られないとされていたのである。結晶化のみを先に行なわせて得られる結晶のスラリーであっても、結晶が特定の状態で水中に分散している時は、優れた成形能を発揮するという事実は、先願発明によって初めて明らかにされたところであり、先願発明の出願当時かかる技術思想は全く存在しなかったし、また、当業者の思いもつかなかったことである。このように、先願発明の組成物から水をとり除けば成形体が得られるということは、先願発明の出願当時予想もしえないことであって、到底周知又は慣用の手段とはいいえないのである。
いいかえると、先願発明の出願当時の技術常識では、水性スラリーからなる成形材料から水を含んだ状態で成形し、次いで反応させて結晶を生成及び生長させ、一体的に硬化した成形体を製造しなければならないとされていたのである。これに対して、先願発明では成形前に水熱合成反応を行ない結晶の成長した水性スラリーを成形材料として得ているのであり、この成形材料から成形体を得るにはプレス脱水して成形し、単に乾燥させるだけで足り、従前技術のように成形後の水熱合成反応を必要としないのである。したがって、先願発明の結晶化後プレス脱水して成形した後、乾燥するという「水をとり除いて成形する」手段は、全く新規な方法である。
なお、先願発明の明細書の実施例1において、「常法に従い圧縮成形し」と記載されているのは、先願発明においては、成形前に水熱合成反応を行なわせているので、成形操作はプレス脱水して成形するという常法の成形手段をもって足り、これを単に乾燥させるだけで成形体が得られる旨を明記したものにすぎず、結晶化後にプレス脱水して成形する手段がこの分野における常法であると記述したものではない。
特許法第三九条第一項の特許出願についていう発明は、特許請求の範囲の記載から把握される技術思想であり、発明の同一性の判断は特許請求の範囲に記載された発明を対象として行なわれる。発明の詳細な説明及び図面にのみ記載され、特許請求の範囲には記載されていない技術事項をもって発明の同一性判断の対象とすることは、それが周知又は慣用の技術でない限り、重複特許の排除という特許法第三九条の趣旨に照らして許されないところである。
右によれば、先願発明が「成形体製造用と記載されているとおり、水をとり除いて成形体を製造することを意図しているものであることは明白である。」とする審決の認定は、当該技術分野の常識を無視するものであって、誤りというべきである。先願発明の技術思想は、その特許請求の範囲に水を除くことはもちろん成形体の製法についてなんらの記載もない以上、成形体製造用組成物にとどまると解すべきである。
2 (本願発明について)
審決が、「本願発明は、(1)先願発明の水性スラリーからなる組成物から単に水をとり除いて成形しただけの特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との成形体というにすぎず、(2)成形体といっても、その形状や構造あるいはその用途を特定していない」とするのは誤りである。
右(1)の認定は、本願発明の出願当時、先願発明の組成物から水をとり除いて実用性ある成形体を得ることが周知又は慣用の手段である場合にしか妥当しないこと前述のとおりである。しかして、本願発明の出願当時においても結晶スラリーから単に水をとり除いて実用性のある成形体を得るということが当業者の常識に反するものであったことは、先願発明出願当時と何ら変りはなかったのである。先願発明の明細書にはこの技術が記載されてはいるものの、これが公告されたのは本願発明出願後の昭和五三年五月一日である。したがって、この技術は本願発明の出願当時においても、未だ当業者の周知又は慣用の手段ではなかったのである。本願発明が先願発明に周知又は慣用の技術手段を付加したものでないことは明白である。
しかも、本願発明の成形体は、特許請求の範囲に記載されているとおり、珪酸カルシウム結晶の特定の集塊物が圧縮変形された状態で相互に連結して構成されるという特定の構造を有することを必須要件としているのである。単に水をとり除いて成形しただけでは、集塊物の圧縮変形も相互の連結もなく、集塊物がばらばらの状態で存在する粉末状となってしまう。本願発明の成形体を得ようとすれば、右特定構造の成形体が得られるような条件下に製造を行なわなければならない。その製造の一例は、例えば本願発明の特許公報第五欄一行目ないし一二行目に記載されているように、先願発明の組成物を多数の排水孔を有する雌型に入れ雄型によりプレスし乾燥するいわゆるプレス成形等と呼ばれる方法である。この方法を採用するときであっても、右特定の構造の成形体が得られるような条件下で操作して初めて本願発明の成形体が得られるのである。
なお、本願発明の明細書の実施例1において、「常法に従いプレス脱水成形後」と記載しているのも単に本願発明における成形操作が常法の成形手段をもってたることを明記したものにすぎず、結晶化後にプレス脱水して成形する手段がこの分野における常法であると記述したものではない。
右のとおり、本願発明の成形体は、先願発明の組成物から単に水をとり除いて成形しただけのものとされるいわれはなく、先願発明の組成物に出願当時の技術水準からは予測もできない技術手段を施して初めて得られるものであり、審決はこの点において判断を誤ったものである。
次に、前記(2)において、審決は、「本願発明は成形体の形状や構造あるいは用途を特定していない」とするが、本願発明の成形体は、特許請求の範囲に記載されているように、珪酸カルシウム結晶の集塊物が、圧縮変形された状態で相互に連結するという特有の構造を有している。このような構造を有するが故に、本願発明の成形体は、本願発明の特許公報第四欄六行目ないし一六行目に記載されているような優れた作用効果を発揮するのである。
また、先願発明の組成物は、珪酸カルシウム結晶の集塊物が水に分散されて存在するスラリーであるが、これから水をとり除いて成形体を得ること自体本願発明出願当時の技術水準においてさえ考え及ばなかったところであること前述のとおりであるから、水をとり除いた成形体がどのような構造をとるか、どのような構造にすれば優れた性能を発揮するかということなどは、本願発明の出願当時の当業者にも想像もしえないところであったのである。したがって、本願発明の成形体の前記のような特有の構造は、先願発明の組成物の成形をすれば当然に有する構造でもなければ自明の構造でもない。
「本願発明の成形体は構造を特定していない」から「先願発明が意図している成形体そのものである」とする審決が誤りであることは明らかである。
3 以上詳述したとおり、本願発明の成形体は、先願発明の組成物に周知又は慣用の手段を付加して得られたものではなく、しかも、先願発明の組成物からは自明でもない特有の構造を有している。したがって、本願発明の成形体が先願発明が製造を意図している成形体に含まれるか否かにかかわらず、両者は技術思想を本質的に異にするものであって、本願発明は先願発明とは別異の発明として特許されるべきものである。審決は違法であり取消を免れない。
第三被告の陳述
一 請求の原因一ないし三の事実は、いずれも認める。
二 同四の審決取消事由の主張は争う。審決に原告主張のような誤りはない。
1 先願発明の明細書の特許請求の範囲には、なるほど、「水をとり除いて成形する」あるいは「水をとり除いて成形体を得る」の文言はない。そして、審決は、かような「水をとり除いて成形する」ことが先願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるとはいっていない。
しかしながら、先願発明が特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との水性スラリーから成る成形体製造用組成物であるといっても、その水性スラリーという、水を含んでおりしかも形をもたない組成物から、その成形体という、水を含まずしかも形をもった物を製造するためには、必然的に水をとり除いて成形を行なわざるをえず、先願発明の明細書にもそのとおり説明されている。先願発明における「成形体製造用」の成形体の製造とは、まさしく、右の「水をとり除いて成形する」ことを意味しているにほかならない。したがって、先願発明の明細書の特許請求の範囲に「水をとり除いて成形する」との文言がなくとも、先願発明には、その技術思想にこれを当然に含んでいるのであり、審決が「水をとり除いて成形する」ことが先願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるといっていないのは、そこまで論じる必要がないからである。
そうすると、審決が先願発明について、「成形体製造用と明記しているとおり水をとり除いて成形してもっぱら成形体を製造することのみを意図しているものであることは明白である」としたことに誤りはない。
なお、右の「水をとり除いて成形する」ことが先願発明あるいは本願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるかどうかを論ずる必要があるとしても、先願発明の明細書あるいは本願発明の明細書の記載(例えば、それぞれの明細書の実施例1)からみて、その発明者すら、これを常法とみなしていることからすれば、かような「水をとり除いて成形する」ことは、先願発明あるいは本願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるといって差支えない。
2 本願発明の明細書の特許請求の範囲にも、なるほど、「水をとり除いて成形する」あるいは「水をとり除いて成形体を得る」の文言はない。そして、審決は、かような「水をとり除いて形成する」ことが本願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるとはいっていない。
しかしながら、本願発明が特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物の、あるいはこれと粘土との成形体であるといっても、成形体という以上それは何らかの成形原料から何らかの手段によって成形された物であるはずであって、このことが本願発明の明細書には先願発明の水性スラリーからなる組成物から水をとり除いて成形された物であると説明されているのであるから、本願発明は、いわば、先願発明の組成物から水をとり除いて成形して製造された成形体であるとさえ、いいかえることができる。したがって、本願発明の明細書の特許請求の範囲に「水をとり除いて成形する」との文言がなくとも、本願発明は、その技術思想にこれを当然に含んでいるのであるから、審決が「水をとり除いて成形する」ことが本願発明の出願時において周知又は慣用の手段であるといっていないのは、そこまで論ずる必要がないからである。
そうすると、審決が本願発明について、「先願発明の水性スラリーからなる組成物から単に水をとり除いて成形しただけの特定の珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土との成形体というにすぎず」としたことに誤りはない。
また、審決の「本願発明の成形体は形状や構造あるいは用途を特定していない」との説明における「構造」とは、その前後の「形状」や「用途」を対比すれば明らかなように、成形体という物品を特徴づける構造を意味しているものである。したがって、珪酸カルシウム結晶の集塊物あるいはこれと粘土とが圧縮変形された状態で相互に連結しているという構造は、右にいう「構造」ではない。
3 以上のとおり、原告の主張する審決取消事由は、理由がないものであり、審決が「本願発明は先願発明の技術思想を別異の観点から表現しただけのものにすぎず、先願発明と同一の発明である」としたことに違法はない。
第四証拠関係《省略》
理由
一 請求の原因一ないし三の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、本件審決にこれを取消すべき違法の事由があるかどうかについて判断する。
成立に争いのない甲第三号証(先願発明の特許公報)によれば、先願発明の組成物は、ゾーノトライト針状結晶の水性スラリーあるいはこれに粘土を添加したものであって、該針状結晶は水中において不規則に三次元的に絡合して多数の集塊物を形成した状態で分散されており、右集塊物はほぼ球状でその直径は約一〇μないし一五〇μであり、周囲にゾーノトライト針状結晶に基づく多数のひげを有すること、その組成物からは、成形後、単に乾燥しただけで大きな強度を備えた製品(成形体)が得られること、脱水成形し乾燥した製品において、球状集塊物はほとんど破損することなく、そのままの形体を保持し隣れる球状集塊物と相互に結合して強固な製品を形成していること、成形手段は常法の圧縮成形、プレス脱水成形が用いられていることが認められる(第二欄二九行目ないし三六行目、第五欄二行目ないし八行目及び特許請求の範囲の項)。
一方、成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許公報)によれば、本願発明の成形体は、ゾーノトライト針状結晶が三次元的に絡合した一〇μ(μm)ないし一五〇μ(μm)の多数のほぼ球状の集塊物が圧縮変形された状態で相互に連結しているもの、及びこれに三重量%ないし五〇重量%の粘土が分散されているものであり、右成形体は、先願発明のスラリーを、多数の排水孔を有する適当な雌型内に入れ雄型によりプレスし乾燥するいわゆるプレス成形、圧縮成形あるいは脱水成形等と呼ばれる常法の成形手段により成形して作られるものであることが認められる(第五欄一行目ないし一一行目及び特許請求の範囲の項)。
そこで、本願発明と先願発明とを対比すると、先願発明の組成物は、ゾーノトライト針状結晶の水性スラリー、あるいはこれに粘土を添加したものであって、その針状結晶は水中において多数の集塊物を形成した状態で分散しているのに対し、本願発明の成形体は、集塊物が「圧縮変形された状態」で相互に連結しているものである点で両発明に差異があるに過ぎず、その他の点では異なるところがない。しかして、本願発明における右のような集塊物の圧縮変形された状態は、本願明細書によれば、先願発明の水性スラリー、あるいはこれに粘土を添加したものを、前記のとおりの常法の成形手段であるプレス成形、圧縮成形あるいは脱水成形して得られるものであると認められる。
右のとおり、先願発明における、ゾーノトライト針状結晶の水性スラリー、あるいはこれに粘土を添加した珪酸カルシウム成形体製造用組成物は、これを用いて常法の成形手段により、珪酸カルシウム成形体を製造することを予定しているものであり、本願発明における珪酸カルシウム系成形体は、先願発明のゾーノトライト針状結晶の水性スラリー、あるいはこれに粘土を添加したものを常法の成形手段により圧縮変形したものであって、本願発明においては、先願発明の明細書に記載された常法の成形手段とは異なった特別の成形手段を使用したり、粘土の添加割合が特別なものであることを認めしめるに足る資料はないから、先願発明と本願発明とは、成形体製造用原料と成形体そのものという差異はあっても、発明としては、同一のものであると認めるのを相当とする。
原告は、先願発明の出願当時のみならず、本願発明の出願当時においてもなお、結晶スラリーから単に水をとり除いて実用性のある成形体を得ることは、当業者の常識に反することであり、先願発明の組成物(水性スラリー)から水をとり除いて成形する手段は全く新規な方法であったから、審決が、本願発明は先願発明の水性スラリーからなる組成物から単に水をとり除いて成形した成形体に過ぎないとしたのは誤りである旨主張する。
しかしながら、審決は本願発明が先願発明と同一であると判断したものであり、その判断においては先願発明の水性スラリー、あるいはそれに粘土を添加したものから、「水をとり除いて」本願発明の成形体を得ることが新規なものであるかどうかを問題にはしていないし、またそれは問題になり得ないものといわざるを得ない。被告の主張するとおり、先願発明は水性スラリーである珪酸カルシウム成形体製造用組成物であり、右組成物から本願発明の成形体を製造するには水をとり除かなければならないのは当然であり、両発明の明細書にもこのことが記載してある。原告の主張は理由がない。
次に原告は、本願発明の成形体は、珪酸カルシウム結晶の集塊物が圧縮変形された状態で相互に連結するという特有の構造を有しているから、審決が、「本願発明の成形体は構造を特定していない」としたのは誤りであると主張するが、審決は、「成形体といっても、その形状や構造あるいはその用途を特定しているわけではない」としているのであって、そこでいう「構造」とは、その形状や用途と並んで成形体という物品を特徴づける構造を意味していることが明らかであり、結局、本願発明の成形体がまさに先願発明が製造を意図している成形体そのものであるとする審決の説明に誤りはなく、原告の前記主張は、審決を誤解したものであり、採用することができない。
右のとおりである以上、本願発明は、先願発明と同一発明であって特許を受けることができないとした審決の結論に誤りはない。
三 よって、本件審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高林克巳 裁判官 楠賢二 杉山伸顕)